「行動する臆病者」は強い
こんにちは。そーいちです!
まずは僕が最近共感を持った動画を紹介します。
行動する臆病者が一番強い
「こうなったからどうしよう、だからこうする」
臆病で神経質な行動者がいいのではないか?中田さんは動画でこう語っています。
常に最悪の状況を生活のなかでも考えながら準備する。
だからこそ準備を怠らない。最悪の状況に陥っても冷静でいることができる。
僕はこの話にすごく共感を持ちました。
こう見えても僕はかなり神経質で臆病者です。成功をイメージするよりも、失敗するところや最悪の状況をイメージする方が得意です。
旅をするときもそうです。
僕は旅に出るときは、まずは最悪の状況から想定するようにしています。アメリカ横断に挑戦するときも、達成したときの自分はほとんど想像もしませんでした。
「自分が犯罪やトラブルに巻き込まれたらどうしよう」
そんなことばかり考えていました。
そんな臆病者の僕が、一見無謀な旅をしたり、危険地域に足を踏み込んでいけるにも理由があります。
それは好奇心であったり、興味があるという部分もありますが、常に最悪の状況を想定しているからだと思います。
「大胆に行こう!どうにでもなれ!」
そんなマインドでは僕は動くことができません。
最悪の状況を想定し、それに対する準備であったり、対策を講じることにより、絶対に自分が危険な目に遭わない勝算を見出す。
僕がいろんなことに挑戦できる理由はここにあると思っています。
この世のすべてのことは、そこに立つまでの準備次第で決まるのでは?
イチロー選手があれほど素晴らしい成績を残すことができたのは、誰よりも準備を欠かさなかったから。
あれほど賞賛を浴びながらも、イチロー選手は誰よりも練習をしていたそうです。
その点においては、イチロー選手もある意味「臆病者」なんではないのでしょうか?
「今日ヒットが打てなかったらどうしよう」
もしかしたら、そんなことを毎日考えていたのかもしれませんね。
ただ、中田さんは動画の途中でこう言いました。
「臆病者は、勝利はあるけど幸福はないかもしれない」
これまた考えさせられますね。
旅で人生は変えられない⑯(アメリカ編)
前回のあらすじ
ブルース発祥の街・メンフィス。
(第16章) 全米最悪都市
ここはかつて自動車産業の街として栄えた。
しかし、低コスト高品質の日本自動車がアメリカの市場に多く参入したことにより、この街は衰退の一途をたどっていった。
そして、2013年には街自体が経済破綻してしまい、街の1/3の建物は廃墟と化してしまっている。
国からの再生支援もなかなか進んでいないことから、「国家に見捨てられた街」とも言われている。
人口の規模もそんなに大きくないが、犯罪率においては全米1、2位を争うほどの治安の悪さを誇っており、殺人や強盗は日常茶飯事である。
現地の人でもなかなか夜は外には出歩かないようにしているらしい。
そんな現状を自分の目で確かめるべく、僕はこの地に降りたった。
・デトロイト
デトロイトのバスターミナルに到着し、トイレに向かったが、扉が完全に破壊されており使用禁止になっていた。
さっそく手荒い歓迎を受けた。
僕が訪れたのは日曜日であったが街に人は少なく、どこか哀愁感が漂っていた。
どこのお家も窓には鉄格子がついており、玄関の扉も二重になっている。
街の中心部にも郊外にも廃墟化したお家や教会などがたくさんあり、非常に不気味だ。
どうやら噂は本当のようだった。
治安が悪いにしては路上生活者が少ないというよりもむしろいないと言っても過言ではない。廃墟がこんなにもたくさんあるものだから、ホームレスたちはそこに住み着いているそうだ。
デトロイト。やっぱり興味本位で来るような街ではなかったようだ。
しかし、一部では廃墟をレストランに改装したり、リフォームしている所もあった。
元廃墟のレストランには多くの若者が昼間から集まり、ランチやお酒を楽しんでいた。
デトロイトの人々はみんな口を揃えてこう言う。
「徐々に良くなっている」
まだまだ課題が山積みのデトロイト。
しかし、多くの人々は街の再生を信じ、前を向いていた。
デトロイトの街が過去の輝きを取り戻す日はそう遠くないのかもしれない。
⑰に続く
旅で人生は変えられない⑮(アメリカ編)
前回のあらすじ
テキサス州・ダラスにやって来た。
この日の最安値のチケットで入場した僕は、メジャーリーガーとのツーショット撮影に成功した。
行動を起こせば奇跡は起きる。
僕の旅はちょうど折り返し地点だ。
(第15章) ブルースの街
アメリカ南部の街・メンフィスにやって来た。
ミシシッピ川が流れるこの街は、かつては奴隷商売の中心として栄えた街でもある。
その影響もあってか、黒人の人口比率がとても高い。
バスに乗っても周りはアフリカ系アメリカ人ばかり。逆に白人の方がマイノリティで目立ってしまう。
メンフィスはキング牧師暗殺の地でもある。「ブラックアメリカン」の割合が多いこの地は公民権運動においても重要な拠点であった。
キング牧師が暗殺されたモーテルは現在は博物館になっていて、アフリカ系アメリカ人のアメリカ社会に対する闘争の歴史を学ぶことができる。
そして、メンフィスはまた「ブルース発祥の地」としても知られていて、世界中から音楽好きが集まってくる。
・ビールストリート
メンフィスの一番の目玉は「ビールストリート」だ。ビールはお酒ではなく、人の名前からきている。
アメリカでは路上や屋外でお酒を飲むことは法律違反となり、処罰の対象になってしまう。
このビールストリートも同様に通常は飲酒をすることができない。
しかし、夕方になるとこのストリートは警察により封鎖され、特別に屋外での飲酒が認められている。
ストリートにはミュージックバーが立ち並んでいて、あちこちから音楽が聞こえてくる。
そして、広場では野外ライブが行われ、大いに盛り上がる。
音楽とは国境を超えるものだ。
白人、黒人、アジア系、アラブ系、ヒスパニック系などあらゆる人々がここに集まり、音楽に酔いしれ、一緒に盛り上がる。
メンフィスでは「音楽の力」というものを実感した。
曲の歌詞が日本語ではないから、もちろん歌詞の意味は全く分からない。
でも、曲には歌手の、作曲者の魂が込められていて、そのビートが、メロディが国境を越えて、人種の壁を越えて世界中の人々の胸に届くんだ。
僕が現在、ウクレレを練習しているのも、メンフィスでの経験が大きく影響している。
音楽は世界の共通言語。
音楽は世界を一つにする力がある。
ロックな街・メンフィスでの出来事であった。
⑯に続く
僕が旅に出る理由
僕が旅に出る理由。
それは思い返してみると、10歳の頃にまで遡ります。
両親に新品のママチャリをプレゼントしてもらい、隣の町まで自転車を漕いだことがきっかけだったのではないかと思います。
真夏の猛暑のなか、必死にペダルを漕ぎました。そして、隣町の標識を超えたときのあの感覚。なんだか一歩成長した。自分が少しだけ大人に近づいたかのような感覚でした。
これが私にとっての初めての「旅」だったのではないかと思います。
幼少期から高校まで野球に打ち込んでいた僕は、旅とは全く無縁の生活でした。完全にフリーな時間も少ないし、地元の福岡を出ることすら滅多にない。
大学生になって初めて海外に一人旅をすることになりました。
海外に行くと、10歳の頃に自転車で隣町まで行った経験を思い出します。
入国審査官が繰り出す質問に応え、スタンプがもらえた時のあの感覚。隣町の標識を超えた時の感覚にかなり似ています。一歩大人に近づいた。自分の存在が認められた。
そして、新しい土地に踏み入れた僕を待ち受ける冒険、試練、出会いの数々。
この感覚がたまらなくて、僕は旅を続けていると思います。
僕は基本的に、一度足を踏み入れたことがある国は旅先には選びません。(タイは例外ですが)
それはやはり10歳の頃のあの感覚を求めているからだと思います。
僕はこれまで25ヶ国を訪れました。周りの人に比べたら圧倒的に多いです。「すごい」なんてよく言われます。
でも世界には195ヶ国あります。国連非加盟の国や地域も含めると250ヶ国はあるのではないでしょうか。
僕はまだたった1/10しか足を踏み入れていません。世界には僕の知らないことがたくさんあるのです。
己の力で知らない土地に足を踏み入れる。10歳の頃の気持ちのままでいるからこそ、僕はこれからも旅を続けるでしょう。
「子どもの頃は大人になんてなれないけど、大人になったら気持ち次第でいつでも子どもに戻ることができる。」
22歳になった僕はそう思っています。
旅で人生は変えられない⑭(アメリカ編)
前回のあらすじ
テレビで耳にする「メキシコの壁」
たった数十メートルの橋を渡るだけで、言語も社会状況も大きく変わる国境の現場。
そこには、日本では体験することのできない衝撃の光景が広がっていた。
(第14章) テキサス
エルパソからダラスまでは道中の高速道路で銃撃事件が起こり、数時間の立ち往生をくらうことになってしまった。
14時間にも及ぶバス移動の末、お尻は限界の状態になりながらもダラスに到着できた。
バスステーションにはお世話になる予定のホストが迎えに来てくれていた。
メキシコ出身の女性マリアとその弟夫婦が総出で待ってくれていた。
この日、テキサスレンジャースの試合に日本人選手の菊池選手が登板予定だったこともあり、僕は球場に試合を見に行くことを決めていたが、彼らは用事があるとのことなのでとりあえず球場まで送ってもらい、いったん分かれることになった。
・メジャーリーグ攻略法
僕が買ったチケットはこの日の最安値(cheapest ticket)だ。料金は10ドル(1,100円)。
座席は最上部の4階席だ。しかし、これでは選手が米粒程度にしか見えない。
あのマウンドで投げているのが、果たして菊池なのか?
なんとかもっと近くで試合を見れないだろうか?
この日の試合は、5チーム中最下位と4位のチームの試合。
5万人収容のスタジアムには半分も観客が入っていない。
1階の席は埋まっていたが、2、3、4階席はガラガラに空いている。
なんとかして2階席に潜り込めれば、間近で試合が見られると確信した。かつ、観客もいないから何者顔で。
「必殺!お友達作戦」
これが僕が考えた作戦だ。
日本と同様に客席のゲート前では係員にチケットを確認される。
係員と会話し仲良くなることで、さりげなく客席に侵入しようという作戦だ。
「Hello! How are you?」
まずは軽い挨拶から入る。
「俺さぁ、日本から来たんよ。今日ダラスに着いたんだよね。そしたら、菊池が先発するって話聞いて、速攻で来ちゃったよ。」
こんな感じで数分、係員と楽しく会話をしていると徐々に相手も心を開いてくれてきたようだ。
僕「試合が再開するから戻らなくちゃ!Good bye!」
係員「See you! Enjoy!」
作戦成功だ。チケットは確認されなかった。
僕はしれっと2階席に潜入することができた。
ちなみに他の球場でもこの作戦を使った。
2階席にもなると、4階席とはかなり違う。選手の顔までしっかり確認できる。
メジャーリーグは近くで見ると、臨場感がまるで違う。
試合は両チーム2桁得点のホームラン合戦という、いかにもメジャーらしい試合だ。
菊池選手はボコボコに打たれたが、マリナーズが試合に勝利した。
地元のチームが敗北し、ファンたちはみな足早に帰路についていた。
これは1階席に潜入するチャンスなのでは?
僕には謎の自信があった。
僕は人の流れに逆行し、1階へと降りて行った。
1階席のゲート前で係員に見つかり、止められたが「忘れ物をした」というと簡単に通してもらうことができた。
ベンチ横で活躍選手のインタビューが行われていた。
しかし、敵チームということもあり、観客は集まっていない。
これはチャンスだと思った僕は、
「アイムジャパニーズ!テイクフォト!」
選手に猛アピールすると快く了承してくれた。
なんと、この日の最安値のチケットで入場した貧乏バックパッカーが最後に選手とのツーショットまで辿り着いたのだ。もはやこれは奇跡に近い。
ペンを持っておらず、サインをもらうことができなかったが、選手とツーショットを撮れたのは価値が大きい。
僕はテキサスでも奇跡を起こした。
⑮に続く
旅で人生は変えられない⑬(アメリカ編)
前回のあらすじ
砂漠の街・フェニックス。
岩山登山のアクティビティに念願のメジャーリーグ観戦。
僕の旅は順調だ。
(第13章) 国境の街
フェニックスからバスで10時間。
テキサス州・エルパソにやって来た。エルパソはメキシコとの国境地帯にある。かつてここはメキシコであったが、150年前のアメリカとの戦争に敗北し、割譲されてしまったという歴史的な背景がある。
そして、トランプ大統領の言う「メキシコとの壁」の最前線でもある。
ここエルパソには、メキシコ側からたくさんの人が働きに国境を越えてやってくる。
街を歩いていると、人々の間で飛び交っている言葉はスペイン語。英語で話しかけても、全く通じない人も少なくない。
多くの露店では、スペイン語のパッケージの商品やカウボーイハットが売られており、まるで違う国に来たのではないかという錯覚に陥ってしまう。
僕は試しにメキシコ側へ入国してみることにした。
・シウダー・フアレス
メキシコへの入国は簡単だ。
国境になっている幅数十メートルの川に架かる橋を渡れば、そこはもうメキシコだ。橋の入り口に警官らしき人が立っており、そこで50セント(55円)を払えば入国できる。
パスポートチェックは一切なし。もちろんスタンプもない。
メキシコに入れば雰囲気が一気に変わる。
舗装されてない道路、いかにも狂犬病をもっていそうな野良犬がうじゃうじゃいて、タクシーの勧誘がしつこい。
ここシウダー・フアレスの街はマフィアがアメリカに麻薬を密輸するための拠点にしているため治安がものすごく悪い。裏路地に入れば、北斗の拳でいう世紀末のような雰囲気が漂っている。
ここは外務省でも危険レベル3に指定されているため、軽いノリで行ってはならないところだ。
ここではマフィアに買収されている汚職警官もたくさんいるため、誰もあてにはできない。
ふらっと街を散策して、タコスだけ食べて帰ることにした。
ここに住む人々は完全にラテンのノリだ。アジア人が珍しいのだろうか、よく人々から声を掛けられる。
でも相手はスペイン語。まったく何を言っているのか分からない。
ただ一方的に楽しく喋って、ハイタッチをしてどっかに行ってしまう。会話自体はまったく成立していないが、どことなくラテン特有の陽気な雰囲気を感じれて楽しかった。
この日は休日ということもあり、街の市場や広場は多くの地元民で賑わっていた。
そんな中、金髪で大きなバックパックを背負ったアジア人は人々からの注目を集めていた。地元のちびっこ達は僕をずっとガン見してくる。おじさまおばさま達は早口のスペイン語で僕に話しかけ、勝手に一人で笑う。少しだけでもスペイン語を勉強しておけばよかった。
タコスを食べるために地元のレストランに入ったが、ウエイターがまだ半分も飲んでいないのに新しいコーラをどんどん運んでくる。
「No, コーラ!」と言っても、2分後にまた笑顔でコーラを持ってくる。
シウダー・フアレスの人々は面白い人ばっかりだ。
この街だけで年間で日本全体の倍以上もの殺人や誘拐事件が起こっているのがありえないくらい人々は温かかった。
ただ、外に出ると野良犬や薬物中毒者らしき人もたくさんいるため気を抜いてはならない。
3時間ほど滞在し、エルパソに戻ることにした。
・大混雑の国境
アメリカ側に戻るには、まず橋の入り口で30セント(33円)を払いゲートを抜け、橋を渡ってアメリカ側で入国審査を受ける。
ゲートをくぐるときに必ず財布を出すことになるため、前ではたくさんの路上生活者が待機しており、紙コップを出してお金をせがんでくる。
メキシコに入国する時とは打って変わって、入国審査を待つ人で長蛇の列ができている。ここでは2時間ほど並ばされた。
入国審査を受ける時も、普段こんなところにアジア人は来ないため、めちゃくちゃ怪しまれていた。しかも金髪。怪しさ倍増だ。
麻薬を持ち運ぼうとしていないか徹底的に荷物をチェックされ、めちゃくちゃ質問された。ロサンゼルス空港で受けた審査よりも、数倍は確実に厳しくチェックされた。
他のメキシコ人たちも同様に、1人1人にかける審査の時間がとても長い。実際に今でも不法移民が多く流入し、アメリカでは社会問題になっているためしょうがない部分も大きい。
テレビではよく耳にしていた、「メキシコとの壁」の最前線の現状を知ることができた。だからといって、僕にできるアクションは少ないが、このように現状をお伝えすることが僕にできる唯一のアクションだと思っている。
⑭に続く
※シウダー・フアレスの街は軽い気持ちで行くとすぐに犯罪に巻き込まれるので、良い子のみんなはマネしないように!
旅で人生は変えられない⑫(アメリカ編)
前回のあらすじ
欲望の街・ラスベガス。
24時間街はネオンの灯りで眩しく、物価も鬼のように高い。
ここではグランドキャニオンのツアーに参加し、地球20億年の歴史を僕は目の当たりにした。
(第12章) アリゾナ
ラスベガスからバスで7時間。ひたすら砂漠を突っ走る。
道端では大きく立派なサボテンたちが堂々と佇んでいる。まるで昔の西部劇の映画に出てきそうな光景だ。
アリゾナ州・フェニックスの国際空港にバスは到着した。
フェニックスでは、現地に住むホストの家に泊めてもらうことになっていた。
ホストは空港まで迎えに来てくれていた。彼の名前はサム。白人のアメリカ人だ。出身はアリゾナではないが、仕事の関係で単身フェニックスに住んでいる。
サムの家に着いてすぐに、彼がお金持ちだと分かった。厳重なセキュリティにプール付きのマンション。大画面の4Kテレビに家具も高級感が漂っていた。
・フェニックス
アリゾナの大都市・フェニックス。街の中心部は金融会社の高層ビルが建ち並ぶ。
しかし、ここはアリゾナの広大な砂漠の中に造られた街。夏は気温が50度近くまで上がる。
郊外に出れば、そこはもう砂漠地帯。ごつごつした岩山が連なる。
サムとは一緒に岩山で登山をした。フェニックスでも一番ポピュラーな岩山「キャメルバック」。名前の通り、ラクダの背中のような形をしている岩山だ。
標高は高くないが、道のりは険しい。それに茹だるようなアリゾナの暑さ。
数分に一度は水分を補給しなければ立っていられない。
登山というよりは、ほとんどがロッククライミングだった。
開始から2時間。頂上に到着した。
キャメルバックの頂上からの景色は絶景だった。あたり一面に広がるアリゾナの大地。
「地球は丸い!」
そんなことを感じた。
・人生初!メジャー観戦
サムと僕はお互いにメジャーリーグのファンということで意気投合したこともあって、彼がチケットを取ってくれていた。本当にいい奴。感謝。
地元のフェニックスに本拠地を置く、ダイヤモンドバックスの試合。しかも対戦相手は僕が大ファンのドジャースだ。
ドジャースに地区優勝へのマジックが点灯していたことにより、アウェーにも関わらず観客の半分はドジャースファンだった。
メジャーリーグの試合は日本と違い、鳴り物の応援がない。観客は静かに試合を見つめている。そして、1つ1つのプレーに拍手や歓声、ブーイングが起こる。
イニング間のイベントも充実しており、ファンが飽きないような工夫が施されている。さすがはメジャーだ。選手のプレーもイベントもレベルが高い。
試合はダイヤモンドバックスが勝利を収めた。しかし、日本と違い、ヒーローインタビューも花火も上がることなく観客は歓喜に浸った後はすぐさま帰路に着く。
そして、一斉に近くの酒場に押し寄せ、勝利の酒に浸る。
アメリカでは、プロスポーツと人々の生活が深く繋がっていることを感じた。バスケもアメフトもアメリカ人にとって生活の一部であるからこそ大きなお金が動き、スター選手にもなると日本のトップ選手よりも数倍もの年俸がもらえる。
こうしてフェニックスの滞在はサムのおかげで素晴らしいものとなった。今はもう結婚してフェニックスを出て行ったらしいが、今でもたまに連絡を取っている。また会える日を楽しみに。
⑬に続く