旅で人生は変えられない⑥(欧州編)
前回のあらすじ
ドイツ・ベルリンに到着した僕。そこでは、東西冷戦時代の「負の遺産」であるベルリンの壁を訪れ、歴史というものについて考えるきっかけとなった。
次にフランクフルトを訪れた僕は、麻薬、売春、ギャング、ホームレスとヨーロッパを牽引するドイツの「闇」の部分を目の当たりにしたのであった。
(第6章) 華の小国
フランクフルトからバスで7時間。ベルギーの首都・ブリュッセルにやって来た。
この日は早起きだったせいか、目を瞑っていたらあっという間に到着していた。
バスはブリュッセル中央駅のターミナルに停車した。
駅の北口から僕は外に出た。そこには黒人の男たちが十数人、爆音で音楽を流しながらたむろしていた。僕はまた警戒を強める。誰とも目を合わせないように急ぎ足でその場を通り抜けた。
・欧州の中心
ベルギーは小国であるが、日本でもそこそこお馴染みな国だ。フランダースの犬、小便小僧、ワッフル、チョコレートなど有名どころがたくさんだ。
最近では、サッカーのワールドカップ・ロシア大会で日本が決勝トーナメントで対戦したことも記憶に新しい。
他にもベルギーはEU(ヨーロッパ連合) の本部があることから「欧州の中心」と言われている。
ブリュッセルでは日本人も多く見かけた。
しかしながら、気になることもたくさんあった。ホームレスの数が圧倒的に多い。もちろん、フランクフルトやベルリン、他のヨーロッパの都市にもホームレスはそれなりにいたが、ブリュッセルはその数が圧倒的に多いように感じた。
私がブリュッセルを訪れたのは週末だったが、午後7時前には街のお店はほとんど閉まっていた。営業しているのは、飲食店とスーパーマーケットぐらい。
さらに異様な光景は続いた。ホームレスたちの間にもテリトリーのようなものがあるのだろうか。お店が閉まると、それぞれが慣れた手つきで店の前にマットレスや毛布を敷き始め就寝の準備を始めていた。まず、日本ではほとんど見かけることはないであろう光景だ。
ベルギーは近年、「テロの温床」になってきていると言われている。最近では連続テロも起こるなど、特にブリュッセルの治安は悪くなってきている。不法移民も多いとされ、特にホームレスもアラブ系、アジア系の人たちが多い印象だった。
日本にいると、島国であるがゆえに移民などについて考える機会も少ない。しかし、お隣の韓国からポルトガルまでは陸で続いている。日本ももはや他人事ではない。
ブリュッセルに関しては、24時間も滞在していないため、深い部分まで知ることはできなかったと思う。
僕は次の目的地である、オランダのアムステルダムに向かうことにした。
・オランダのおじさん
ブリュッセルからバスで3時間。長時間移動が当たり前になっていたせいか、すぐに着いたように感じた。
アムステルダム郊外で降ろされた。市内までは電車で移動だ。
ちなみに、ヨーロッパではどこの国でもローカル電車・バスのチケットをクレジットカードでも購入できる。キャッシュレスの部分では日本の数倍は先を進んでいる。
街の中心部に到着した。街はきれいで平和な雰囲気が漂っていた。ブリュッセルとは対照的だ。先進国でありながら、ホームレスも少ない。
オランダは国民の「幸福度」がかなり高い国としても有名だ。
アムステルダムの街はすぐに好きになったが、滞在時間は半日ほどしかない。
まずは、中央駅から電車で40分のところにある「ザーンセ・スカンス」に向かった。オランダと言えば「風車」が有名だが、今では数が少なく貴重だ。そのなかで、首都から簡単にアクセスできる「風車村」としてザーンセ・スカンスはとても有名だ。
ザーンセ・スカンスを楽しんだ後、アムステルダム中央駅に戻ってきた。
あたりはすでに日が落ちて暗くなっていた。街を散策しているとオランダ人のおじさんに話しかけられた。
話を聞くと、日本は3回訪れたことがあり、日本の文化が大好きだそうだ。ヨーロッパでは中国人とよく間違えられていた僕を一発で日本人だと見抜いたから、このおじさんはきっとただ者ではないだろう。少しボディータッチが多いのが気になったが。
おじさんにひと通り街を案内してもらい、晩飯までご馳走になった。短い時間であったが、おじさんとはたくさん話した。
「日本の文化」「日本の政治」おじさんはすごく物知りだった。こんな遠い海の向こうにも日本人よりも日本のことを知り尽くした外国人がいるのか。少しだけ衝撃を受けた。
僕の拙い英語もなんとかくみ取って理解してくれた。
僕は次の日にスペインのバルセロナへのフライトがあったため、空港に向かうことにした。中央駅までおじさんが見送りに来てくれた。
たった2時間ほどしか行動を共にしなかったが、なぜかこのおじさんのことはよく覚えている。
次の日は早朝にフライトがあったため、この日は空港泊をした。アムステルダム空港は快適だった。真冬だったこともあり、少し体が冷えたがベンチで横になって寝ることができた。
次の日の早朝。
スペインはバルセロナへ向かうべく、アムステルダムを飛び立った。
⑦へ続く