旅で人生は変えられない③(カンボジア編)
前回のあらすじ
初めて「カンボジア」の地に降り立った僕。そこでは、「悲惨な歴史」「貧困の現状」を目の当たりにすることに。
「僕は世界を変えられない。せめて、自分の人生くらいは精一杯生きよう!」
そう決心した僕は日本への帰路についたのであった。
(第3章) 旅人になった日
僕たちはプノンペンに行くため、ターミナルでバスを待っていた。
ここにも物乞いがたくさんいた。小さな子供から痩せこけてしまった老人まで。
みんな僕たちの前で立ち止まり、お金を要求してくる。最後の最後まで胸が苦しくなるような出来事がこの国では起こった。
バスを待っていると、向こう側から大きなバックパックを背負ったアジア人の若者が歩いてきた。
「ハロー。ジャパニーズ?」
声をかけてみた。
・世界一周
彼は日本人だった。名前はケイ。日本の大学生だ。年齢は僕の1つ上。当時は21歳。
彼は、今まさに「世界一周」の旅の途中だった。これからアジアを抜け、ヨーロッパ、アフリカを旅し、アメリカ大陸から半年後に帰国を目指しているとのこと。
当時の僕には、「世界一周」なんてただの夢物語。金持ちの遊び。ましてや大学生なんかが行けるものではないと思っていた。
僕は興味津々に聞いた、
(僕) 「お金はどうしたの?」
(ケイ) 「3か月でバイトしまくって70万円貯めたよ!だけど貧乏旅行さ!」
僕は衝撃を受けた。「70万」で本当に「世界一周」なんてできるのか。僕だってアルバイトで毎年100万円ぐらい稼いでいる。
僕はさらに彼から話を聞きまくった。
1泊1,000円以下で宿泊できる「ドミトリー」、「ゲストハウス」というものの存在。「LCC」という航空会社を利用すれば格安で遠いところまで行けちゃうこと。
アメリカだって、ヨーロッパだって思っていたよりもずっとお金をかけずに行けることを僕は知ってしまった。
「おれにだって行けるかもしれない!」
僕と世界の「距離」はこの日を境に縮まった。
・憧れのヨーロッパ
帰国から半年後。僕は相変わらずいつも通りの日常を送っていた。
ただ1つだけ、
「春休みにヨーロッパを旅する!」
ということだけは決めていた。そのため、アルバイトに明け暮れ、節約生活をしながら貯金をしていた。
行き先を「ヨーロッパ」にした理由は、僕はもともと「地理」と「西洋史」が得意教科で少しだけ興味を持っていたからだ。あとは、「美食を堪能したい」「金髪の綺麗な姉ちゃんを拝みたい」そんな理由だった。
何よりも僕は「とりあえず行ってみること」に意味があると思っていた。
20万円を貯金し、航空券、宿泊費、移動費、食費、観光費などすべての費用をそれでまかなった。「福岡ープラハ(チェコ共和国)」の往復航空券は5万円で買った。「中国東方航空」で上海にて乗り継ぎ。中国の航空会社は値段こそ格安だが、サービスの質は低いことで有名だ。だが、たった10時間のフライト。目を瞑っていればあっという間に到着する。
宿も「エクスペディア」を使って、格安のドミトリー、またはホテルを予約した。ヨーロッパ内での移動は「バス」。ヨーロッパはEU加盟国間であれば一部を除いて入国審査がない。そのため、長距離バスで大阪や東京に行くぐらいの感覚で隣国に行ける。値段も2,000円ぐらいで格安だ。バスで寝るから宿泊費もかからない。
スケジュールは「行きたい場所」「バスのルート」をもとに17日間の日程を完璧に決めていた。
2019年2月15日。
僕は福岡空港に向かった。前日はワクワクで眠れなかった。
初めて中国の飛行機に乗る。最初から最後まで完全な「一人旅」。
だが、不思議と僕のなかに「不安」という二文字は全くなかった。なによりも僕はこれから始まる17日間のヨーロッパ旅に高鳴る鼓動を抑えきれずにいた。
福岡から2時間。上海浦東空港に到着した。
機内食は美味しくなかった。ただ、目を瞑っていたらあっという間だった。
初めて降り立った中国。中国ではSNSが全く使えないと聞いていた。
Twitter、Facebook、YouTube、LINEなど僕らが普段使っているツールは全く利用できない。話は本当だったようだ。
上海では約10時間も待機しなければならないが、ネットは一切使えない。
しかし、これからヨーロッパの旅が待っていると思うと長時間の待機なんて平気だった。
時刻は深夜の12時を過ぎた。上海に到着してもうすでに10時間以上が経過していた。
中国語と英語で搭乗のアナウンスが流れた。
僕は飛行機に乗った。
④に続く