そーいちブログ

福岡県在住の「旅」を愛する大学生

旅で人生は変えられない②(カンボジア編)

前回までのあらすじ

高校時代の挫折に強い「嫌悪感」と「コンプレックス」を抱えていた僕。大学に進学し、ごく普通の学生生活を送っていた僕は、ひょんなことから「カンボジア」へ行くことに。初めての一人海外。僕は不安と少しの希望を胸に成田空港から飛行機に乗り込んのであった。

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(第2章) カンボジア

成田から6時間。僕はカンボジアの首都・プノンペンに到着した。

あっという間だった。機内のCAさんは全員日本人。機内食、ドリンク、スナック、映画すべてが日本のものばかり。とても快適なフライトだった。

飛行機を降りると、東南アジア独特の香りがした。アライバルビザを申請し、入国スタンプをもらう。スーツケースをピックアップして空港の外に出る。

車が右車線を走っている。

「おれ、海外に来たんだ!!」

僕の胸は高鳴っていた。

 

・知るはずのなかった歴史

僕はツアーの人たちと合流した。

まずはカンボジアの「歴史」を学んだ。

 

時は40年前。カンボジアは内戦状態にあった。

当時の権力者・ポルポトにより、たった4年で人口の3分の1もの人々が虐殺されている。

そのため、カンボジアに老人はほとんどいない。カンボジアの平均年齢はかなり低いのだ。

当時、国民の逃亡を阻止するため各地にたくさんの地雷が埋められた。そのほとんどは未だに撤去が終わっておらず、今でも多くの悲劇を生んでいる。

 

僕はカンボジアに行くまでこの歴史を知らなかった。無理もない。この出来事はおそらく社会の教科書には載ってない。

悲劇の現場となった「拷問施設」「処刑場」を訪れた。そのまま残されている当時付着した血痕の跡。埋葬が追いつかず、その辺に散らばっている遺骨。

日本にも「戦争」という悲惨な歴史があるが、その何十年後に生まれた僕たちはその「事実」しか知らない。

「現実」というものを目の当たりにした僕はそれを受け止めることに必死だった。

 

カンボジアに来たからこそ知ることができた。」

 

これはすごく良い経験だったと思っている。

 

・貧困との遭遇

それから僕たちは、世界遺産アンコール・ワット」のあるシェムリアップという街にやって来た。

「村での学校建設のお手伝い」。これが1番の目的だった。

 

シェムリアップから車に揺られること3時間。スレイン村にやって来た。

僕たちは現地の子どもたちから歓迎を受けた。もちろん、学校建設のお手伝いも一生懸命取り組んだが、ほとんどの時間を子どもたちと遊んで過ごした。

 

栄養失調でぷっくりと膨らんだお腹。ドキュメンタリー番組で見た「貧困」に苦しむ子どもたちと同じだ。

そして、子どもたちはみんな年齢の割に身体が小さい。ちゃんと食べれていないのだろう。

子どもたちがあまりにも無邪気なため、一緒に楽しく遊んでいるとつい忘れてしまっていたが、僕はテレビや本、写真で見た「貧困の世界」で生きる子どもたちを目の前にしていたのだ。

 

・この子が僕で、僕がこの子でもよかった

僕は日本に生まれた。家庭は決して裕福ではないが食べるものが無くて心配することはない。大学にだって行けている。

一方でこの子たちは1日3食は食べられない。ステーキなんて、ハンバーガーなんて、パスタなんておそらく食べたことは一度もないだろう。それに、この村には小学校しかなく、卒業すれば子どもたちは働き始める。

でも子どもたちは、

「学校の先生になりたい!」

みんながそれぞれ夢を持っていた。

 

「僕の何が良かったのか。」「彼らの何が悪かったんだろうか。」

 

世界にはその場所で生まれ、同じ場所で死んでいく人がほとんどだ。どれだけ頑張っても報われない人はたくさんいる。

そんな中、先進国に生まれた僕は欲しいものはたいてい手に入る。食べるものも自分で選べる。

今になって、「プロ野球選手になりたい!」なんて言ったら笑われたりするが、努力しだいで叶えることは不可能ではないだろう。周りの環境が整っているから。

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・僕は世界を変えられない

「僕たちは世界を変えることができない」

僕が大好きな映画だ。カンボジアに学校を建てた落ちこぼれ医大生たちの話だ。

 

日本にいる僕は欲しいものはたいてい手に入る。

だが、目の前の子ども1人の人生すら変えることはできない。僕が彼らにどれだけお金を与えようが根本的なことは何も解決しない。

 

「だから、せめて自分の人生くらい精一杯生きよう!」

 

子どもたちとお別れの日、僕は自分自身にそう誓った。

「明日は何時に来るの?」

子どもたちが聞いてきた。

「この人たちとは今日で最後だよ。」

現地の通訳さんが子どもたちに言った。

子どもたちは見事に黙り込んでしまった。

 

帰りの車に乗った。子どもたちが見送りに来てくれた。無邪気に手を振る子どもたち。

僕は目に涙を浮かべていた。

 

・人間

「人間はその人の思考の産物にすぎない。人は思っているとおりになる。」(マハトマ・ガンジー)

 

要するに、人は自分の知っている範囲のことでしか動けないということである。

 

「自分事」の幅を広げて少しずつ、人間の幅を広げていく。

全く興味のなかったことも、目の前にすれば、もはや「自分事」である。

カンボジアの歴史」だって「貧困」だってこの経験がなければ僕はまだ知らなかったであろう。

 

こうやって、少しずつ「自分事」の幅が広がる。それが人間の幅を広げることではないだろうか。

 

内容の濃いカンボジアのツアーは終わりを迎えた。

僕はプノンペン行きのバスに乗るべく、数名の仲間と共にホテルを後にした。