旅で人生は変えられない④(欧州編)
前回のあらすじ
カンボジアから日本への帰路についた僕。帰りのバスで日本人の旅人に出会う。彼のワクワクする話を聞いて、僕と世界の「距離」は縮まった。そんな気がした。
帰国から半年後。僕はヨーロッパに向かっていた。これから一体どんな冒険が待っているのか。僕は経由地である上海を飛び立った。
(第4章) 東欧の国
上空10,000メートル。飛行機はひたすらロシアの上空を飛行していた。
やっとのことでロシアを抜け、ベラルーシ上空に入る。プラハまではあと2時間ほどで到着する。
機内は意外にも快適だった。少しだけ日本語が話せる中国人のCAさんがいて対応してくれた。機内食も2種類から選べた。中華料理とパスタ。僕は迷わずパスタを選んだ。すごく美味しかった。
機内ではあまり眠ることができなかった。未だにこれから始まるヨーロッパの旅への興奮を抑えることができていなかった。
飛行機は徐々に高度を下げ始める。プラハの街並みが見えてきた。
2019年2月16日。現地時間は午前5時。日本との時差は7時間だ。
僕はプラハ国際空港に到着した。
・百塔の街
早朝ということもあり、到着から10分で入国できた。今回の荷物はバックパックと小さめのショルダーバッグだったため、荷物をピックアップする必要もなかった。
僕はすぐさまバスのチケットを購入して市内へ向かうことにした。
30分後、終点でバスは停車した。ここからは地下鉄に乗り換えなければならない。
地下鉄でおよそ20分。市内の中心部に到着した。地上へ上がり、外へ出た。
そこには、映画で見たようなヨーロッパの街並みが広がっていた。
「おれ、ヨーロッパに来たんだ!」
『百塔の街』
小規模ながら、たくさんの塔が建ち並ぶプラハの街はこう呼ばれている。
戦争の絶えなかったヨーロッパの歴史。プラハも例外ではなく、ナチス・ドイツに支配された時代もあった。しかしながら、奇跡的にもほとんどの建物が破壊されることなく、今でもその多くが残されている。
『千年の都』
中世からの面影をそのまま残しているプラハの街はこう表現されることもある。
プラハには世界中から観光客が集まっていた。欧米からはもちろん、アジアからの観光客もたくさんいた。日本人も例外ではなく。
街の至るところで英語が聞こえてくる。プラハはもちろん観光業にも力を入れており、収入源の多くはここから得ている。公用語は英語ではないが、プラハの人々は英語を使って商売をしていた。なかには中国語が話せる人も少なくない。
東ヨーロッパの魅力はなんと言っても、「物価の安さ」だ。プラハでは、缶ビールが1本安いもので20円くらいで買える。
ヨーロッパは「東西冷戦時代」には、「西」と「東」で分断されていた。イギリス、フランスなどの西側の国とチェコなどの東側の国では未だに大きな「経済格差」が存在する。物価においては2倍以上もの差がある。
プラハの観光は楽しかった。レストランでは、ビールも料理もクオリティが高く、なによりも安い。観光客慣れしているため、スタッフのサービスの質も高かった。
観光においても、ただ街歩きをするだけでも十分に楽しめた。
プラハでは2日間過ごし、次の目的地であるポーランドの首都・ワルシャワに夜行バスで向かうことにした。
・地図から消された国
プラハからワルシャワまではバスで10時間。僕は完全に爆睡してしまっていた。気が付くとすでにポーランドに入っていた。
ポーランドという国は悲惨な歴史をたどってきた。ヨーロッパの歴史のなかで何度も戦火に見舞われた。ナチス・ドイツの侵攻から旧ソ連による支配のため、しばらく世界地図から姿を消していた時代もあった。
僕は、ワルシャワの中心部にあるバスターミナルで降ろされた。
とりあえず、服を洗濯するためにコインランドリーへ行き、宿泊先のホテルに向かうことにした。
ワルシャワはポーランドの首都ではあるが、観光にはあまり向いていない。どちらかと言うと、金融などの「ビジネスの街」と表現したほうがいいだろう。街には高層ビルが建ち並び、スーツを着たビジネスマンがたくさん歩いている。街ではあまり英語が聞こえてこない。プラハとのギャップが凄かった。
ランドリー屋のおばちゃんには英語が通じなかった。東欧の老人は英語が話せない人が多いと聞く。かつては旧ソ連の東側諸国であったため、「英語」というものは敵対している西側諸国の言葉であることから学校では教えられていなかったとか。
ワルシャワでは、この「英語が通じない」という壁に僕は苦戦を強いられた。ホテルのチェックインをするのにも一苦労。若い人には英語が話せる人が多いので間に入って助けてもらった。世界遺産にも登録されている「歴史地区」を散策していると、何を言っているかさっぱり分からない男に絡まれ、書類にサインをさせられた僕は男から数千円を騙し取られてしまった。振り切ることもできたはずだ。だが、プラハとは一転、何事も上手くいかないワルシャワでの滞在に僕は気力を完全に失っていた。
僕はポーランドでホームシックになってしまった。
しかし、帰りたくても飛行機は2週間後。それに、今帰るのは絶対にダサい。
「僕はもう逃げられないのだ」
ワルシャワでの2日間の滞在が終わった。
僕は次の目的地であるドイツの「ベルリン」へと向かうべく、バスターミナルにいた。
「ドイツに行けば何かある!」
僕の気持ちは少しだけ前向きに切り替わっていた。
僕はベルリン行きのバスに乗った。
⑤に続く