旅で人生は変えられない④(欧州編)
前回のあらすじ
カンボジアから日本への帰路についた僕。帰りのバスで日本人の旅人に出会う。彼のワクワクする話を聞いて、僕と世界の「距離」は縮まった。そんな気がした。
帰国から半年後。僕はヨーロッパに向かっていた。これから一体どんな冒険が待っているのか。僕は経由地である上海を飛び立った。
(第4章) 東欧の国
上空10,000メートル。飛行機はひたすらロシアの上空を飛行していた。
やっとのことでロシアを抜け、ベラルーシ上空に入る。プラハまではあと2時間ほどで到着する。
機内は意外にも快適だった。少しだけ日本語が話せる中国人のCAさんがいて対応してくれた。機内食も2種類から選べた。中華料理とパスタ。僕は迷わずパスタを選んだ。すごく美味しかった。
機内ではあまり眠ることができなかった。未だにこれから始まるヨーロッパの旅への興奮を抑えることができていなかった。
飛行機は徐々に高度を下げ始める。プラハの街並みが見えてきた。
2019年2月16日。現地時間は午前5時。日本との時差は7時間だ。
僕はプラハ国際空港に到着した。
・百塔の街
早朝ということもあり、到着から10分で入国できた。今回の荷物はバックパックと小さめのショルダーバッグだったため、荷物をピックアップする必要もなかった。
僕はすぐさまバスのチケットを購入して市内へ向かうことにした。
30分後、終点でバスは停車した。ここからは地下鉄に乗り換えなければならない。
地下鉄でおよそ20分。市内の中心部に到着した。地上へ上がり、外へ出た。
そこには、映画で見たようなヨーロッパの街並みが広がっていた。
「おれ、ヨーロッパに来たんだ!」
『百塔の街』
小規模ながら、たくさんの塔が建ち並ぶプラハの街はこう呼ばれている。
戦争の絶えなかったヨーロッパの歴史。プラハも例外ではなく、ナチス・ドイツに支配された時代もあった。しかしながら、奇跡的にもほとんどの建物が破壊されることなく、今でもその多くが残されている。
『千年の都』
中世からの面影をそのまま残しているプラハの街はこう表現されることもある。
プラハには世界中から観光客が集まっていた。欧米からはもちろん、アジアからの観光客もたくさんいた。日本人も例外ではなく。
街の至るところで英語が聞こえてくる。プラハはもちろん観光業にも力を入れており、収入源の多くはここから得ている。公用語は英語ではないが、プラハの人々は英語を使って商売をしていた。なかには中国語が話せる人も少なくない。
東ヨーロッパの魅力はなんと言っても、「物価の安さ」だ。プラハでは、缶ビールが1本安いもので20円くらいで買える。
ヨーロッパは「東西冷戦時代」には、「西」と「東」で分断されていた。イギリス、フランスなどの西側の国とチェコなどの東側の国では未だに大きな「経済格差」が存在する。物価においては2倍以上もの差がある。
プラハの観光は楽しかった。レストランでは、ビールも料理もクオリティが高く、なによりも安い。観光客慣れしているため、スタッフのサービスの質も高かった。
観光においても、ただ街歩きをするだけでも十分に楽しめた。
プラハでは2日間過ごし、次の目的地であるポーランドの首都・ワルシャワに夜行バスで向かうことにした。
・地図から消された国
プラハからワルシャワまではバスで10時間。僕は完全に爆睡してしまっていた。気が付くとすでにポーランドに入っていた。
ポーランドという国は悲惨な歴史をたどってきた。ヨーロッパの歴史のなかで何度も戦火に見舞われた。ナチス・ドイツの侵攻から旧ソ連による支配のため、しばらく世界地図から姿を消していた時代もあった。
僕は、ワルシャワの中心部にあるバスターミナルで降ろされた。
とりあえず、服を洗濯するためにコインランドリーへ行き、宿泊先のホテルに向かうことにした。
ワルシャワはポーランドの首都ではあるが、観光にはあまり向いていない。どちらかと言うと、金融などの「ビジネスの街」と表現したほうがいいだろう。街には高層ビルが建ち並び、スーツを着たビジネスマンがたくさん歩いている。街ではあまり英語が聞こえてこない。プラハとのギャップが凄かった。
ランドリー屋のおばちゃんには英語が通じなかった。東欧の老人は英語が話せない人が多いと聞く。かつては旧ソ連の東側諸国であったため、「英語」というものは敵対している西側諸国の言葉であることから学校では教えられていなかったとか。
ワルシャワでは、この「英語が通じない」という壁に僕は苦戦を強いられた。ホテルのチェックインをするのにも一苦労。若い人には英語が話せる人が多いので間に入って助けてもらった。世界遺産にも登録されている「歴史地区」を散策していると、何を言っているかさっぱり分からない男に絡まれ、書類にサインをさせられた僕は男から数千円を騙し取られてしまった。振り切ることもできたはずだ。だが、プラハとは一転、何事も上手くいかないワルシャワでの滞在に僕は気力を完全に失っていた。
僕はポーランドでホームシックになってしまった。
しかし、帰りたくても飛行機は2週間後。それに、今帰るのは絶対にダサい。
「僕はもう逃げられないのだ」
ワルシャワでの2日間の滞在が終わった。
僕は次の目的地であるドイツの「ベルリン」へと向かうべく、バスターミナルにいた。
「ドイツに行けば何かある!」
僕の気持ちは少しだけ前向きに切り替わっていた。
僕はベルリン行きのバスに乗った。
⑤に続く
旅で人生は変えられない③(カンボジア編)
前回のあらすじ
初めて「カンボジア」の地に降り立った僕。そこでは、「悲惨な歴史」「貧困の現状」を目の当たりにすることに。
「僕は世界を変えられない。せめて、自分の人生くらいは精一杯生きよう!」
そう決心した僕は日本への帰路についたのであった。
(第3章) 旅人になった日
僕たちはプノンペンに行くため、ターミナルでバスを待っていた。
ここにも物乞いがたくさんいた。小さな子供から痩せこけてしまった老人まで。
みんな僕たちの前で立ち止まり、お金を要求してくる。最後の最後まで胸が苦しくなるような出来事がこの国では起こった。
バスを待っていると、向こう側から大きなバックパックを背負ったアジア人の若者が歩いてきた。
「ハロー。ジャパニーズ?」
声をかけてみた。
・世界一周
彼は日本人だった。名前はケイ。日本の大学生だ。年齢は僕の1つ上。当時は21歳。
彼は、今まさに「世界一周」の旅の途中だった。これからアジアを抜け、ヨーロッパ、アフリカを旅し、アメリカ大陸から半年後に帰国を目指しているとのこと。
当時の僕には、「世界一周」なんてただの夢物語。金持ちの遊び。ましてや大学生なんかが行けるものではないと思っていた。
僕は興味津々に聞いた、
(僕) 「お金はどうしたの?」
(ケイ) 「3か月でバイトしまくって70万円貯めたよ!だけど貧乏旅行さ!」
僕は衝撃を受けた。「70万」で本当に「世界一周」なんてできるのか。僕だってアルバイトで毎年100万円ぐらい稼いでいる。
僕はさらに彼から話を聞きまくった。
1泊1,000円以下で宿泊できる「ドミトリー」、「ゲストハウス」というものの存在。「LCC」という航空会社を利用すれば格安で遠いところまで行けちゃうこと。
アメリカだって、ヨーロッパだって思っていたよりもずっとお金をかけずに行けることを僕は知ってしまった。
「おれにだって行けるかもしれない!」
僕と世界の「距離」はこの日を境に縮まった。
・憧れのヨーロッパ
帰国から半年後。僕は相変わらずいつも通りの日常を送っていた。
ただ1つだけ、
「春休みにヨーロッパを旅する!」
ということだけは決めていた。そのため、アルバイトに明け暮れ、節約生活をしながら貯金をしていた。
行き先を「ヨーロッパ」にした理由は、僕はもともと「地理」と「西洋史」が得意教科で少しだけ興味を持っていたからだ。あとは、「美食を堪能したい」「金髪の綺麗な姉ちゃんを拝みたい」そんな理由だった。
何よりも僕は「とりあえず行ってみること」に意味があると思っていた。
20万円を貯金し、航空券、宿泊費、移動費、食費、観光費などすべての費用をそれでまかなった。「福岡ープラハ(チェコ共和国)」の往復航空券は5万円で買った。「中国東方航空」で上海にて乗り継ぎ。中国の航空会社は値段こそ格安だが、サービスの質は低いことで有名だ。だが、たった10時間のフライト。目を瞑っていればあっという間に到着する。
宿も「エクスペディア」を使って、格安のドミトリー、またはホテルを予約した。ヨーロッパ内での移動は「バス」。ヨーロッパはEU加盟国間であれば一部を除いて入国審査がない。そのため、長距離バスで大阪や東京に行くぐらいの感覚で隣国に行ける。値段も2,000円ぐらいで格安だ。バスで寝るから宿泊費もかからない。
スケジュールは「行きたい場所」「バスのルート」をもとに17日間の日程を完璧に決めていた。
2019年2月15日。
僕は福岡空港に向かった。前日はワクワクで眠れなかった。
初めて中国の飛行機に乗る。最初から最後まで完全な「一人旅」。
だが、不思議と僕のなかに「不安」という二文字は全くなかった。なによりも僕はこれから始まる17日間のヨーロッパ旅に高鳴る鼓動を抑えきれずにいた。
福岡から2時間。上海浦東空港に到着した。
機内食は美味しくなかった。ただ、目を瞑っていたらあっという間だった。
初めて降り立った中国。中国ではSNSが全く使えないと聞いていた。
Twitter、Facebook、YouTube、LINEなど僕らが普段使っているツールは全く利用できない。話は本当だったようだ。
上海では約10時間も待機しなければならないが、ネットは一切使えない。
しかし、これからヨーロッパの旅が待っていると思うと長時間の待機なんて平気だった。
時刻は深夜の12時を過ぎた。上海に到着してもうすでに10時間以上が経過していた。
中国語と英語で搭乗のアナウンスが流れた。
僕は飛行機に乗った。
④に続く
旅で人生は変えられない②(カンボジア編)
前回までのあらすじ
高校時代の挫折に強い「嫌悪感」と「コンプレックス」を抱えていた僕。大学に進学し、ごく普通の学生生活を送っていた僕は、ひょんなことから「カンボジア」へ行くことに。初めての一人海外。僕は不安と少しの希望を胸に成田空港から飛行機に乗り込んのであった。
(第2章) カンボジア
成田から6時間。僕はカンボジアの首都・プノンペンに到着した。
あっという間だった。機内のCAさんは全員日本人。機内食、ドリンク、スナック、映画すべてが日本のものばかり。とても快適なフライトだった。
飛行機を降りると、東南アジア独特の香りがした。アライバルビザを申請し、入国スタンプをもらう。スーツケースをピックアップして空港の外に出る。
車が右車線を走っている。
「おれ、海外に来たんだ!!」
僕の胸は高鳴っていた。
・知るはずのなかった歴史
僕はツアーの人たちと合流した。
まずはカンボジアの「歴史」を学んだ。
時は40年前。カンボジアは内戦状態にあった。
当時の権力者・ポルポトにより、たった4年で人口の3分の1もの人々が虐殺されている。
そのため、カンボジアに老人はほとんどいない。カンボジアの平均年齢はかなり低いのだ。
当時、国民の逃亡を阻止するため各地にたくさんの地雷が埋められた。そのほとんどは未だに撤去が終わっておらず、今でも多くの悲劇を生んでいる。
僕はカンボジアに行くまでこの歴史を知らなかった。無理もない。この出来事はおそらく社会の教科書には載ってない。
悲劇の現場となった「拷問施設」「処刑場」を訪れた。そのまま残されている当時付着した血痕の跡。埋葬が追いつかず、その辺に散らばっている遺骨。
日本にも「戦争」という悲惨な歴史があるが、その何十年後に生まれた僕たちはその「事実」しか知らない。
「現実」というものを目の当たりにした僕はそれを受け止めることに必死だった。
「カンボジアに来たからこそ知ることができた。」
これはすごく良い経験だったと思っている。
・貧困との遭遇
それから僕たちは、世界遺産「アンコール・ワット」のあるシェムリアップという街にやって来た。
「村での学校建設のお手伝い」。これが1番の目的だった。
シェムリアップから車に揺られること3時間。スレイン村にやって来た。
僕たちは現地の子どもたちから歓迎を受けた。もちろん、学校建設のお手伝いも一生懸命取り組んだが、ほとんどの時間を子どもたちと遊んで過ごした。
栄養失調でぷっくりと膨らんだお腹。ドキュメンタリー番組で見た「貧困」に苦しむ子どもたちと同じだ。
そして、子どもたちはみんな年齢の割に身体が小さい。ちゃんと食べれていないのだろう。
子どもたちがあまりにも無邪気なため、一緒に楽しく遊んでいるとつい忘れてしまっていたが、僕はテレビや本、写真で見た「貧困の世界」で生きる子どもたちを目の前にしていたのだ。
・この子が僕で、僕がこの子でもよかった
僕は日本に生まれた。家庭は決して裕福ではないが食べるものが無くて心配することはない。大学にだって行けている。
一方でこの子たちは1日3食は食べられない。ステーキなんて、ハンバーガーなんて、パスタなんておそらく食べたことは一度もないだろう。それに、この村には小学校しかなく、卒業すれば子どもたちは働き始める。
でも子どもたちは、
「学校の先生になりたい!」
みんながそれぞれ夢を持っていた。
「僕の何が良かったのか。」「彼らの何が悪かったんだろうか。」
世界にはその場所で生まれ、同じ場所で死んでいく人がほとんどだ。どれだけ頑張っても報われない人はたくさんいる。
そんな中、先進国に生まれた僕は欲しいものはたいてい手に入る。食べるものも自分で選べる。
今になって、「プロ野球選手になりたい!」なんて言ったら笑われたりするが、努力しだいで叶えることは不可能ではないだろう。周りの環境が整っているから。
・僕は世界を変えられない
「僕たちは世界を変えることができない」
僕が大好きな映画だ。カンボジアに学校を建てた落ちこぼれ医大生たちの話だ。
日本にいる僕は欲しいものはたいてい手に入る。
だが、目の前の子ども1人の人生すら変えることはできない。僕が彼らにどれだけお金を与えようが根本的なことは何も解決しない。
「だから、せめて自分の人生くらい精一杯生きよう!」
子どもたちとお別れの日、僕は自分自身にそう誓った。
「明日は何時に来るの?」
子どもたちが聞いてきた。
「この人たちとは今日で最後だよ。」
現地の通訳さんが子どもたちに言った。
子どもたちは見事に黙り込んでしまった。
帰りの車に乗った。子どもたちが見送りに来てくれた。無邪気に手を振る子どもたち。
僕は目に涙を浮かべていた。
・人間
「人間はその人の思考の産物にすぎない。人は思っているとおりになる。」(マハトマ・ガンジー)
要するに、人は自分の知っている範囲のことでしか動けないということである。
「自分事」の幅を広げて少しずつ、人間の幅を広げていく。
全く興味のなかったことも、目の前にすれば、もはや「自分事」である。
「カンボジアの歴史」だって「貧困」だってこの経験がなければ僕はまだ知らなかったであろう。
こうやって、少しずつ「自分事」の幅が広がる。それが人間の幅を広げることではないだろうか。
内容の濃いカンボジアのツアーは終わりを迎えた。
僕はプノンペン行きのバスに乗るべく、数名の仲間と共にホテルを後にした。
旅で人生は変えられない①
これは平凡な人生を歩んでいた「僕」がアメリカ横断に挑んだ物語である。
(序章)
僕は探していた。自分が輝ける「場所」を。
僕は探していた。自分が変わる「きっかけ」を。
僕は探していた。本当の「自分」を。
(第1章)「コンプレックス」そして「自己嫌悪」との葛藤
僕は幼少期から高校まで野球に明け暮れていた。
休日も野球に時間を費やし、家族旅行にすら行ったこともほとんどない。
青年期までをこんな「狭い世界」で過ごしていたことが、後に「旅」というものに熱中する要因となった。
・順調なはずの人生
小学校、中学校。僕は必ずチームの中心にいた。
周りの選手よりもパワーがあり、そこそこ足も速かった。何より、チャンスの場面にめっぽう強かった。
僕は中学3年生になり、進学先の高校を選ぶことになった。僕が進学先に選んだのは、地元で「最も甲子園に近い」と当時言われていた高校だ。
総数70名を超える部員。2軍ではあるが入学早々、僕はスタメンとしてチャンスを多く与えられた。
「将来はチームの中心になる!」
僕の未来は明るいはずだった。
・心身の「ズレ」
「腕に力が....入らねぇ。」
異変を感じた僕はすぐさま近くの病院へ。医者からは次の日にMRI検査を受けるようにと告げられた。
検査の結果、末梢神経の病気だと分かった。
それからはグラウンドの隅でリハビリに励む日々。僕の病気は常に痛みが伴うわけではない。だから自分が怪我をしている感覚はなかった。でも、負荷のかかるトレーニングは禁止。もちろん試合に出ることもできない。
「気持ちはあるのに、身体は動かない」
僕の気持ちは焦っていた。
症状が改善し僕はまた練習を始めた。だが、またすぐに怪我をした。今度は腰骨の骨折だ。
たった2年半の高校野球において数ヶ月のブランクは大きい。
「俺はまだやれるのに。」
身体が気持ちについていかない。僕は次第に自己嫌悪に陥った。
高校3年生の夏。甲子園に行ける最後のチャンスだ。
その時、僕はグラウンドにはいなかった。ベンチはおろか、グラウンドの外で試合を見つめていた。死ぬほど悔しかった。
僕の高校はシード校として有力視されていたが、結果はまさかの一回戦敗退。泣き崩れる同期たちを横目に
「よっしゃ!」「終わった」
僕のどこかにはそんな気持ちがあった。
「神様なんていない」「努力したって夢は叶わない」
これが幼少期から熱中してきた野球から最後に学んだことである。なんて悲しいことなんだ。
僕は自分から他人に高校時代のことはほとんど語らない。高校時代の自分にどこか「コンプレックス」というものを感じていたからだ。
・毎日を「消化」するだけの日々
それから僕は地元である福岡の私立大学へと進学した。
そこそこ受験勉強に苦労したが、特に優秀でもなく、悪いわけでもない「中間」ぐらいの学生が多く集まるような大学である。偏差値もちょうど「50」くらい。
「4年後に就職してしまったら、社会の歯車になる」
そう思って僕はなんとかして大学生活を楽しもうとしていた。
俗に言う「新歓」というものに参加して酒を覚えた。バイトのない日はサークルに参加し飲み会に行っていた。飲み会はとても楽しかった。先輩に酒をおごってもらい、記憶が無くなるまで飲む。次の日は二日酔いで学校をさぼる。やがて自分には後輩ができて、彼らにおごるためにバイトで貯めたお金を消費する。
明らかに他人の目から見て人間として「退化」していってることは自分でも分かっていた。でもそれが大学生として「当たり前」であると自分の中で落とし込んでいた。
だが、大学生活の1年目が終わり、自分を振り返ってみた。両手には何も残ってはいなかった。
「このままではまずい。」
僕の中で「焦り」という気持ちが芽生え始めた。
でも何をすればいいのかわからない。「ボクシング」「楽器」新しいことを始めてみるも続かない。僕は完全に「迷走」していた。
僕はひたすら探していた。
過去の「コンプレックス」を払拭できるような何かを。
・カンボジアとの出会い
「カンボジア?」
絶賛迷走中だった僕は知人からカンボジアで学校建設を行っているNPO法人の「スタディーツアー」を紹介してもらった。
「地理」が得意科目だった僕はもちろん「カンボジア」という国の存在は知っていた。だが、カンボジアについてイメージはなにも無かった。唯一あるとすれば日テレ番組の「行列ができる法律相談所」がそこで学校を建てたということぐらい。
「行きます!」
なぜか僕は即答した。
カンボジアに行ったことがある人なんて当時は僕の周りにいなかった。それに「カンボジア」というパワーワード。
「人生変えるチャンスが来た!」
そう確信した僕はすぐに団体に参加費を振り込んだ。
・僕はまだ「初心者」だった
参加費を払えば次は「航空券」だ。
「スカイスキャナー」というアプリをダウンロードして航空券を探した。LCCという会社を利用すれば3万円で航空券が買えることが驚きだった。
今では当たり前のように利用している (もはやLCCしか乗ってない) 僕にもそんな時期があったのだ。
だが、1つだけ障害があった。それは「海外で乗り継ぎ」ということだ。
高校の修学旅行でしか海外に行ったことがなかった僕にとって「海外の空港」はとても怖かった。
しょうがなく「ANA」の航空券を2倍ほどの値段で買った。成田で乗り継ぎという「安全」を高い値段で買ったわけだが、不安な気持ちが完全に消えることはなかった。
大学2年生の夏。出発の日を迎えた。
相変わらず僕は不安だった。今でこそ「バックパッカー」「ミニマリスト」を名乗っているが、当時はパンパンに荷物が入った大きめのスーツケースを引きずり、リュックサックもチャックがきちんと閉まらないくらいに荷物を詰め込んでいた。
福岡空港の「ANA」の国内線カウンターでチェックインをする。「スルーバゲージ」というものを知らなかった僕は、成田空港で荷物をピックアップしなくていいというスタッフさんの言葉を信用しきれなかった。
(僕)「本当に成田で荷物取らなくていいんですか?ちゃんとカンボジアまで行くんですか?」
(スタッフ)「はい。だから心配なさらなくて大丈夫です (汗) 」
完全に困惑していた。本当に申し訳ないと今でも思っている。
不安を抱えたまま成田空港に到着。
約3年ぶりに「出国」のスタンプがパスポートに押される。
次に手持ちの3万円を「米ドル」に両替。初めて米ドルを手に持つ。米ドルを数えていると、お札に描かれている「アメリカ建国の父 ジョージ・ワシントン」が僕に微笑みかけているかのような気がした。
「ついに、カンボジアに行くんだ!」
不安な気持ちは相変わらずだが、同時にワクワクしている自分もいた。
搭乗のアナウンスが出発ロビーに流れる。
僕は飛行機に乗り込んだ。
(続く)
【オーストラリア🇦🇺】パースで人気No.1の観光地!?「ロットネスト島」が楽園すぎた!
みなさんこんにちは。そーいちです!
前回はオーストラリアに片道2万円でいく方法をご紹介させていただきました。
まだご覧になられてない方はぜひこちらの記事をチェックしてください!
soichiplayonearth.hatenablog.com
さて、今回は「世界一美しい街」と言われているパースの観光の魅力についてご紹介したいと思います!
オーストラリア観光と言えば、シドニーやゴールドコースト、グレートバリアリーフなどの東海岸地域の方が私たち日本人にとってはメジャーなのではないかと思います。
しかしながら、西海岸に位置し「陸の孤島」とも言われているパースにも実は観光の魅力がたくさん詰まっています!
私は今回パースには1週間滞在しました。パースは街自体がすごくコンパクトでそれほど大きな街ではありませんが、都市部にも郊外にも魅力的な観光スポットがたくさんあり、1週間という時間はあっという間に過ぎたような気がします。
私が今回紹介したいのはパースで人気No.1の観光スポットでもある「ロットネスト島」です!
パースに留学している知人に「おすすめの場所どこ?」と尋ねたところ、「ロットネスト島には絶対行くべき!」と言っていました。
実際に現地在住の方にもおすすめの場所を尋ねたところ、全く同じことを言われたのでここだけは絶対に行こうと出発前には決めていました。
ロットネスト島は年末の「イッテQスペシャル」でも取り上げられていました。珍獣ハンターの企画で、イモトと草刈さんの回を覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか?
パースから日帰りで行ける「楽園」・ロットネスト島
パースの海岸線から沖合18kmのインド洋に浮かぶ島・ロットネスト島。
島には手つかずの自然が数多く残されており、年間50万人もの人がここを訪れます!
エメラルドグリーンに輝く海と純白の砂浜が多数存在しています。
私が訪れた日は残念ながら一日中天気が曇り空でしたがそれでも十分に綺麗でした。なので晴れた日はもっとすごい景色を見ることができると思います!
「世界一幸せな動物」に出会うことができる!?
この島の一番のみどころはロットネスト島でしか出会うことができない貴重な有袋類動物である「クオッカ」で間違いないでしょう!
クオッカは「世界一幸せな動物」とも言われており、口の形が笑っているように見えることからそう言われるようになりました。
「ピカチュウ」のモデルになったとも言われているそうです。
クオッカは絶滅危惧種に指定されている希少な動物ですが、ロットネスト島のクオッカは人間慣れしているため、近づいても逃げることなく逆に向こうから近づいてきて来ることも!
ここでは野生のクオッカと「セルフィーでツーショットと撮る」のが定番となっています。
なんだかこちらも幸せな気持ちになりますね!
中には「自撮りの天才」と呼ばれているクオッカもいるようで、カメラの前でポーズを決めてくれるそうです!
クオッカは島の至るところに生息しているので簡単に見つけることができますが、自転車に乗っているとどうしてもスルーしてしまうことも。
なので、一番確実に会うことができるのは船着き場の近くにある売店やサブウェイなどの飲食店が立ち並ぶエリアです。
※クオッカに餌をあげたり、触ったりする行為は法律により禁止されており罰金が科せられます。触りたい気持ちもわかりますが、適切な距離を保ちましょう!
自転車で大自然を駆け抜ける!
ロットネスト島では一般の車両の乗り入れが禁止されています。そのため、移動手段は観光バスか自転車になります。
私は断然、自転車をおすすめします!インド洋の風を浴びながら、大自然の中を自転車で走るにはすごく気持ちが良いですよ!
自転車はパースのフェリー乗り場でレンタルすることができます。
島ではレンタサイクルのお店は見かけなかったので、パースからフェリーに乗る前に必ずレンタルしておきましょう!
ただ、島は坂道が多く体力はけっこう消耗してしまいます。体力に自信がない方は、電動アシスト付きの自転車もレンタルであるそうですのでチェックされてみてください!
島ではキャンプも楽しめる!?
ロットネスト島は宿泊することも可能なようです。
このように住宅型やテントスタイルのキャンプ場がたくさんありました。
私が訪れたのは週末だったこともあり、多くの家族連れで賑わっていました。バーベキューをしたり、海水浴をしたり、テニスをしたりとそれぞれ楽しんでいるようでした。
島には小規模ですがスーパーマーケットもあるのでそこで必要なものは揃えることができるようです。
ロットネスト島へのアクセス
ロットネスト島へのアクセスはフェリーの一択のみです。
パースには数か所フェリー乗り場があり、フェリー会社もいくつか運航しています。
チケットは乗り場の窓口でも購入可能ですが、各会社のサイトからオンラインでも購入可能です!
ロットネストエクスプレス社
西オーストラリア、ロットネスト島 - Rottnest Express
SEALINK社
Ferry services to Rottnest Island - SeaLink Rottnest Island
ロットネスト・ファスト・フェリーズ社
Rottnest Fast Ferries | フェリー予約・料金・時刻表
私が今回利用したのは「GET YOUR GUIDE」という会社のツアーで、フェリーの往復チケット、レンタサイクル付きでなんと6,620円でした!
これはけっこう安いと思います!
ただ、残念な点もあります。それは乗り場がパースの中心地から遠い郊外にあるということです。
パース駅から電車に乗り、バスに乗り換える必要があります。片道1時間以上はかかります。
フェリーは午前中の早い時間帯しか出ておらず、窓口でモバイルチケットを紙ベースに発券したり、自転車をレンタルする時間も考慮すると朝は早起きする必要があります。
私は確か、朝の6時前には起きていたと思います。
それと別途でロットネスト島への入場料もフェリー乗り場で払う必要があります!
大人1人20ドル(約1,400円)、子供1人7ドル(約500円)を徴収されます。
※これはどの会社を利用しても必ず徴収されます。
まとめ
いかがでしたか?
今回はパースで人気No.1の観光スポット「ロットネスト島」を紹介させていただきました。
ロットネスト島は個人的にもすごくおすすめです!
小さな島ですが、綺麗な海、美しい自然、可愛い動物とオーストラリアの魅力がここにはたくさん詰まっています!
それでは今日はこの辺で!!
また、皆さんからの旅に関する質問(航空券の取り方、宿の取り方、観光のプランニング等など)をTwitter、InstagramのDM、またはFacebookのメッセンジャーにて受付ております!!
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「世界が笑顔で溢れますように」
【オーストラリア🇦🇺】オーストラリア(パース)まで片道2万円!?格安で行く方法を大公開します!
みなさんこんにちは。そーいちです!
昨今、巷を騒がせている新型コロナウイルスの感染拡大。この影響で私たちにとって「海外に行く」ということはかなりハードルの高いものもなりました。
世界各国が国境閉鎖に乗り出し、多くの国が「鎖国」のような状態にあります。
海外に行くことはおろか、街中で外国人を見かけることもなくなりました。
全く終わりの見えないというところが今の現状でしょうか。日本でも、日々感染者数が増加し、状況が悪化する一方で、国(政府)の後手後手の対応により生活面においても国民の不安が増していくばかり。
そんな中、私に出来ることはないかと考えてみました。
私に出来ること。それは皆さんに今の事態が収束し、世界に日常というものが戻った時のために「ワクワク出来るようなコンテンツ」をお届けすること。
そのために海外のワクワクするコンテンツ。役に立つ情報などを皆さんにお届けしていきたいと思います!!
「格安」で行くオーストラリア
さて、今回取り上げたい国はオーストラリアです。
私は先月、1週間ほどオーストラリアの「パース」という街に滞在しておりました。
オーストラリアといえば、シドニーやゴールドコーストなどの東海岸の地域が私にとって身近で観光客も多いです。もちろん、日本から飛行機のアクセスも直行便もあり便利です。
しかしながら、私は西海岸の街・パースを強くオススメしたいです。日本からはANAの成田ーパースの直行便が1日1本運行しています。
パースは「世界一美しい街」「世界一住みやすい街」などとも言われており、高層ビルが立ち並ぶ都会でもあり、美しい自然やビーチもたくさんあります。日本人にとってもワーホリや留学先としても高い人気があります。
パースの魅力については後日、記事にして皆さんにお届けしたいと思います!
ANAの直行便を使って成田からアクセスするのも良いですが、値段はやはりそれなりにします。
(安い時で往復8〜9万円)
私は今回、パースまでは飛行機を2回乗り継ぎしてアクセスしました。
パースまでかかった航空券代はなんと、
片道2万円!!
※帰り(復路)はシンガポールやタイに寄り道しました。
その詳細をご紹介したいと思います。
オーストラリアまで片道2万円!?その内訳を大公開!
今回、私は
福岡ーマニラ(フィリピン)ーバリ島(インドネシア)ーパース
という経路でアクセスしました。
(福岡ーマニラ) 4,000円
福岡からマニラまではセブパシフィック航空という
フィリピンのLCCキャリアを利用しました。
このセブパシフィック航空はよくセールを行っていて、福岡ーマニラは最安値が片道4,000円で入手できます。
1つだけ気をつけたいことはこの便は1日1本で夜行便ということです。なのでマニラへの到着は現地時間の深夜頃になります。
マニラ国際空港は警備が厳重ではありますが、治安は日本の空港とは比べものにならないくらい悪いです。実際に空港内でスリやひったくりなどの事件も起こっているそうです。
マニラはセブ島などと違って、正直なところ観光するような所はほとんどありません。
空港内には格安のカプセルホテルがあるので、そちらに宿泊して次の日にバリ島へ向かうことをオススメします。
マニラ空港の過ごし方はこちらの記事を参照下さい
↓↓↓
【危険!?】マニラ空港の夜はここで過ごすべし! - そーいちブログ
(マニラーバリ) 7,000円
マニラからバリ島まではエアアジア航空というこれまたLCCキャリアを利用しました。
今回はセール時ではないようだったので、セール時はもっと安くなると思います。
バリ島は言わずと知れた日本人にとっても人気の観光地です。綺麗な海に美しい自然。美味しい食べ物、陽気な現地の人々。
また、物価も安いところが魅力ですよね。
バリ島は1日〜2日ほど滞在することをオススメします。治安も良く、物価もかなり安いです。
私は一泊500円のドミトリー式のホステルに宿泊しましたが、かなり綺麗で快適でした!
食べ物もとても美味しく、安いのでぜひ現地で堪能していただきたいです。
【世界一美味しい!?】インドネシア料理は実際どうなのか? - そーいちブログ
(バリーパース) 10,000円
バリ島からパースまではジェットスター航空を利用しました。
ジェットスターというと皆さんは国内線をイメージしますよね?国内線の格安LCCと言えば、「ジェットスター」か「ピーチ」という印象を多くの方がお持ちかと思いますが、実はジェットスターはオーストラリア・メルボルンに本社を置く会社で日本の企業ではありません!
格安航空券 | 飛行機 予約 | 最低価格保証 | ジェットスター
※ピーチは関西空港に本社を置く日本の企業です。
バリ島からパースは意外と距離が近く3時間ほどで到着します。
また上記のエアアジア航空もバリ島からパースまで直行便があります。
今回はセール時ではありませんでしたが、最安値(スカイスキャナー調べ)は
エアアジア: 片道6,000円〜
ジェットスター: 片道7,000円〜
今回は合計3回のフライトで
21,000円
でした!
正確な値段はこれより少しだけ安いです。
帰路(復路)はスクート航空を利用することをオススメします。
パースーシンガポールで最安値は
片道10,000円〜となっています!
また、スクート航空はシンガポールから日本各地に直行便が出ており、最安値はこちらも
片道10,000円〜となっています!
このようにセールを上手く利用することで、帰りも片道2万円ほどで帰ることができます。
乗り継ぎは1回で済みます。
まとめ
このようにLCCキャリアのセールなどを上手く利用することで、オーストラリアまで最安値で
往復40,000円〜
からアクセスすることができます!
こうなってくると、オーストラリアは「南半球の遠い英語圏の国」とは思わなくなりませんか?
新型コロナウイルスの世界的感染拡大により、各国の航空会社は運休などの措置を取り、大量のリストラを行うなど苦境に立たされているのが今の現状です。
特に、LCCキャリアは「どれだけたくさんの乗客を乗せて、いかにどれだけの本数を飛ばせるか」が収益化のためには重要です。なので、多くのLCCキャリアが厳しい経営状況にあると思います。
一刻でも早く事態が収束し、世界にいつもの日常が戻るのを祈るばかりです。
そして、世界中どこでも行けるようになり、世界中が旅人で溢れ、多くの人が笑顔を取り戻す日が来ることを願って今日も「旅人」としてのスキルを磨いていきたいと思います!
そして、皆さんにもワクワクするようなコンテンツを「旅」という形でお届けしていきます!
また、皆さんからの旅に関する質問(航空券の取り方、宿の取り方、観光のプランニング等など)をTwitter、InstagramのDM、またはFacebookのメッセンジャーにて受付ております!!
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「世界が笑顔で溢れますように」
【世界一美味しい!?】インドネシア料理は実際どうなのか?
こんにちは。そーいちです。
私は今回の旅で2日間だけですが、インドネシア・バリ島を訪れました!
初のインドネシア&南半球初上陸という事でめちゃくちゃテンションも上がってました!
さて、多くの方が旅行に行く際に重視するもの。
それは食事だと私は思います。
韓国料理、中華料理、イタリアン、フレンチ、インド料理など日本にいても世界中の料理を食べることは可能ですが、やっぱり現地で食べるものの味には敵いませんよね。
正直、今まで色んな国で日本食を食べてきましたが、あまり美味しいと思ったことはありません。
もちろん、海外でも高級な日本食レストランに行けば美味しい料理を食べることは出来ると思いますが、わざわざ海外に行ってまでお高い日本食を食べるのはもったいないですよね。
少し話が逸れましたが、世界中にはたくさんの美味しい料理がありますよね!
そんな中、あのCNNが発表した「世界で一番美味しい食べ物ランキングベスト50」でなんと、
インドネシア料理が1位、2位にランクインしているんです!
要するに「インドネシア料理は世界一美味しい!」ということなんです!!
世界一美味しいインドネシア料理
さっそくですが、世界の数ある料理の中からベスト10に選ばれた料理たちをまずはご紹介したいと思います!
第10位 マッサマンカレー(タイ)
個人的に私が大好きなタイ料理がランクインしました。じゃがいもと鶏肉をホロホロに煮込んだカレーでとても美味しいです!
第9位 北京ダック(中国)
中華料理と言ったらやっぱり「北京ダック」ではないでしょうか!北京ダックは高級料理ですが、特別な日に食べるからすごく美味しいですよね。
第8位 ラーメン(日本)
みんな大好きラーメン!私ももちろん大好きです!世界中どこにいてもラーメンレストランはあるので、本当に世界中で親しまれているんだなと思います!
第7位 点心(香港)
餃子、シュウマイ、小籠包など日本人も大好きな点心。香港で食べる点心は別格でした。
第6位 ソムタイ(タイ)
またもやタイ料理がランクインしました!ソムタイは青パパイヤのサラダです。一口食べるとくせになります!
第5位 パッタイ(タイ)
またもやタイ料理!パッタイはタイでも大人気で、有名なパッタイ料理屋ではどこもかしこも行列が出来ています。
第4位 トムヤンクン(タイ)
3連続でタイ料理!タイ料理と言ったらトムヤンクン!クセになる辛さで、ご飯と一緒に食べると相性抜群!
第3位 寿司(日本)
寿司は日本の伝統食!日本の宝!
寿司レストランもラーメン同様に世界中どこでも見かけます!
そして、数ある世界中の料理の中から1位と2位に選ばれたのは、
第1位 ルンダン(インドネシア)
です!!!
ナシは「お米」を意味します。
簡単に言うと、炒飯みたいな感じです。
ニンニクや唐辛子で味付けされていてクセになります。そして付け合わせで目玉焼き、えびせん、きゅうり、トマトが必ず一緒についてきます!
ナシゴレンは本当に美味しいと思いました!マレーシアやシンガポールでも食べることが出来るので、ぜひ一度食べてみて欲しいです!!
第1位 ルンダン(インドネシア)
そして、世界中の数ある料理の中から1位に選ばれたのはインドネシアのルンダンです!
見た目はというと、、、
「本当に美味しいの?」
て感じですよね。
味自体は美味しいだろうけど、本当に世界一なのかという疑問が私の中に芽生えました。
いざ、実食。
「うん、ビーフシチューとカレーの中間かな!」
肉は牛肉です。じゃがいもやニンジンなどの野菜も一緒に煮込まれてます。
正直なところ、味は美味しいです!実際にリピーターになる人もたくさんいるようです。
ですが、「寿司よりも美味しいのか?」
というのが私の感想ですかね。
味覚は人それぞれなので、ぜひ一度食べてみて欲しいです!!
まとめ
いかがでしたか?
インドネシア料理は世界の数ある料理の中から世界一に選ばれています!
他にもたくさんおすすめしたい料理はありますが、今日はこの辺までにさせていただきたいと思います。
インドネシアは綺麗なビーチもあり、自然もあり、美味しい料理もあるので、本当に観光するにはすごくオススメです!
日本からの直行便は少ないですが、「エアアジア航空」などを使えば、乗り継ぎで安く行くことも可能です!
コロナウイルスの影響により、入国管理などもかなり厳しくなっていましたが、ぜひ皆さんに一度は訪れていただきたいです!
ちなみに、物価も安く、写真のナシゴレンは200円ぐらいで食べることが出来ました!
お金がない学生の方にもすごくオススメです!
それでは今日はこの辺で!!