旅で人生は変えられない⑪(アメリカ編)
前回のあらすじ
僕はロサンゼルスにやって来た。
僕を暖かくお家に迎え入れてくれたホスト。
そして、初日から僕はアメリカで奇跡を起こした。
僕の長い旅は順調なスタートを切ったのであった。
(第11章) グランドキャニオン
僕はロサンゼルス・ダウンタウンのバス停にいた。次はグランドキャニオンツアーの拠点となるラスベガスへ移動だ。
バスを待っているが時間になっても来ない。日本では定刻にバスが発車することは当たり前だが、アメリカはまず時間通りにバスが来ることの方が珍しい。
行き先は違うが、同じくバスが遅れているというアメリカ人の兄ちゃん2人組と仲良くなった。アメリカ横断していることを伝え、先の目的地の情報収集をすることができた。
予定時刻から1時間後。バスは到着した。
ロサンゼルスからラスベガスまでは5時間。それまではひたすら殺風景の砂漠道を走る。
砂漠を走っていると、所々に小さな町が現れる。これがいかにもアメリカらしい。
・眠らない街
ラスベガスはいかにも砂漠の中に人工的に造られたような街だった。
8月のラスベガスは連日、気温が40度を超える。この日も茹だるような暑さだった。
ラスベガスは観光客のための街だ。街は常に清掃員が掃除をしており、ごみが路上に全く落ちていない。ホームレスもいない。全身タトゥーの兄ちゃん達がたむろしているようなストリートもない。
物価も観光客プライス。普通にロサンゼルスの2倍はする。マクドナルドでも1ドルのハンバーガーが2ドルで売られている。レストランなども例外なく高いため、僕はラスベガスでは毎食マクドナルドに行っていた。体に悪い。
しかし、ラスベガスはホテルが安い。僕は高層ホテルの12階に宿泊したが、1泊20ドル(2,200円)だった。それにプラスで20ドルのリゾートフィーというラスベガス独自の税金を払わなければならないが、それでも十分にクオリティが高かった。
ラスベガスはどのホテルにもカジノが併設されており、観光客たちはそこで多額のお金を落としていく。ラスベガスのホテルの宿泊費が安いのは、たくさんの人に宿泊してもらい、カジノでお金を落としてもらうという狙いがあるのだ。
そもそもカジノをするつもりがない貧乏バックパッカーにとってはとてもありがたい。
余談だが、ラスベガスではストリートを歩いていると、数人のSPを連れた中東の石油王みたいな人ともすれ違った。
・地球20億年の歴史
ラスベガスまで来た目的は、グランドキャニオンツアーに参加するためだ。
僕が参加したのは、95ドル(9,900円)のラスベガス発では最安値のツアーだ。ガイドはもちろん英語。
何よりもつらかったのは、1人でツアーに参加しているのは僕だけだった。他の参加者は恋人や家族と参加していた。もちろん、日本人の参加者は僕だけ。
前の座席に座っていたメキシコ人の夫婦と仲良くなってお菓子などを貰ったりもしたが、基本的には一人行動。普段から一人旅をしていて、特に寂しいという感情を抱くことはないが、こういったツアーに参加すると急に一人でいることへの寂しさを感じてしまう。
将来、好きな人とまたグランドキャニオンに戻ってくる。それが夢だ。
しかしながら、グランドキャニオンの絶景は感動ものだ。あれは行った人にしか分からない。何時間いてもあの絶景に飽きることはなかった。
ツアーに参加して良かったこともある。それは、1人であったからこそガイドさんと仲良くなることができた。
ガイドさんは黒人でアフロ頭のおっちゃんだった。いかにも70年代のレゲエ歌手にいそうな風貌でとても気さくな人だった。バス移動中もジョークで参加者たちを楽しませていた。
1人で参加している僕がちゃんと楽しめているか気にかけてくれていた。なんて良い人なんだ。
ツアーはとても満足いくものだった。ぜひ、また参加したい。
ツアーが終了し、僕がバスを降りようとした時、
「See you again! Good luck!」
とガイドさんが声をかけてくれた。
ツアー中は一緒に昼食も食べたし、夕食も食べた。おそらく今回の参加者の中で僕ほどガイドさんと一緒に行動を共にした人はいないだろう。
名前は忘れてしまったが、あのアフロのおっちゃんとまた会える日を楽しみにしている。
僕のアメリカの旅は本当に人に恵まれていた。
アメリカは銃社会ということもあり、アメリカ人は他の国の人よりもどことなく警戒心が強いように感じたが、打ち解けてしまえばすぐに友達になれた。
まだまだ続くアメリカの旅。次はどんな出会いが待っているのだろうか。
⑫に続く